身体知
肉体的な反応は微細であるけれども、だからこそ、ダイレクトに正直に伝わってくるものなのかもしれない。
相手は自分の鏡であるということが、良くも悪くもわかるのである。
相手の分類分けをする上で、神経の動き、筋肉の動きから、相対的な情報を引き出し、解釈するということは、貴重なデータであると思う。
それが可能な条件下にもっと身を置いて、人間が発するもの、神経のシグナル、そしてわたしがそれを受け取った時の身体知、そういったものを実践的に学習していく必要があると思う。
誰か、人がいわんとすることを理解しようとするのならば、言葉だけでなく、その人自身から流れてくる気みたいなもの、意図を、その自然な動きから、無意識的な動作、表情から、感覚的に読み取り、自分の体の内側にしみ込ませていく。
ダンスには、ペーシング、ミラーリング、リーディング、それらが暗黙のうちに盛り込まれており、変幻自在のプロテウスになるための実践的方法が、多分に内包されている。
ラポールは理解の過程を描くもので、その道筋においては、言葉は余計な詮索や疑念をもたらす、リスクあるツールであるということを頭の片隅においておきたい。